こんにちは 赤穂市議 山野たかしです。
堀内伝右衛門記念顕彰碑の寄付のことはTwitterでのせてましたが、再度お便りをいただきました。宮川さんは文化協会50周年にも来穂されてましたね。
そんなタイミングで広報あこうを見ていると!
忠臣蔵の散歩道 30
(広報あこう2月号より p22)
楽しく読ましてもらっている「 広報あこう 忠臣蔵の散歩道 」そんなタイミングでまさか、まさかの丁度その場面でしたね。討ち入り後の元禄15年12月16日。赤穂浪士はそれぞれ4つの藩屋敷に預けられました。そのひとつが芝高輪細川家のお屋敷で、大石内蔵助ら17名です。
その細川家での接伴役の1人が堀内伝右衛門なのです。その役目を心を尽くして勤め、切腹後には遺髪をもらい受け山鹿市の日輪寺に菩提寺を建立したとのことです。
・藩屋敷のあとは今
広報あこうでは、藩屋敷の跡は今! という切り口でしたね。東京には土地勘ありませんが、港区というだけで中々の場所ということはわかります。
細川家は泉岳寺のすぐ近く、高輪1丁目付近だったそうですよ
少しニュースあつめてみました
忠臣蔵と肥後 | 【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!
https://kumamoto.guide/look/terakoya/042.html
(熊本県観光サイトより)
「忠臣蔵」赤穂義士の接待役・堀内伝右衛門の顕彰碑、日輪寺(熊本県山鹿市)に建立
https://this.kiji.is/597620883665175649?c=92619697908483575
(熊本日日新聞より)
義士供養の熊本藩士 地元で顕彰碑建立へ
http://www.ako-minpo.jp/news/14146.html
(赤穂民報より)