こんにちは 赤穂市議 山野たかしです。
図書室にあったので読んでみました。いつでしたか赤穂市議会にも来ていただいて色々と教えていただきましたね。今議会改革といえばの龍谷大学政策学部教授 土山希実枝先生です。
私は後半の一般質問のイロハではなく冒頭に惹かれましたね。地方自治の仕組みは、議会で議決されると執行機関である行政がそれを実行します。こうした政策においては「正解がない」だから議論が必要であり、そのために議会がある。しかし現実は首長提案の99.6%が原案通り可決となっており、単なる追認機関であることが議会不要論へとつながっているのではないか。自治体ミッションが政策・制度の整備向上であり、それがうまくいっているならば執行機関だけでいいではないかとなるのは当然である。
しかしながら議会がいらないというのは暴論であり、より政策議会へ向かうには。一般質問の効果をどう考えるかというものがこの本に書かれている。まさに議員が読む本であり一般質問のイロハが書かれている。しかしながら私はいかに良い一般質問をするかというそういった所ではない冒頭に最も共感できる部分がふたつありました。「議場ひとりぼっちを作らない」「行政の絶対的無謬性」であります。
行政の絶対的無謬性
私のなかでは誰も幸せにならない絶対的無謬性。勿論失敗はあってはならないのですが、そんなもの人間である限りムリに決まってます。うまくフォローできる、次につなげることさえできれば問題はないと考えますが、行政ではあってはならない。先に政策に正解はないから議論をしているとありましたが、そうです・・矛盾しちゃうんですよね。
この整合性をどうとるのか。絶対的に正しい議案を議会の議論によって間違いを指摘された。修正されることが執行機関のメンツをつぶつことにつながる。議員も間違いを指摘するよりも政治力をつけることで政策実現に向かうことで相互依存が成り立ってきた。
こうした過去のもたれ合いだけではなく鬼の首を取ったように失敗を指摘しまくる議会にも問題があったのではと個人的に思います。
議場ひとりぼっちにしない
いくら良い一般質問をしても執行機関が相手をしなければ意味のないものである。
私はいつも思っていますが、行政が恐れるものを議会はもっているわけですから、本に書かれているとおり、一人じゃないことを見せることは本当に意味のあることであると考えます。議会と行政は緊張感を保つ制度になっている以上、恐怖政治じゃないですけどお互いの立場を維持するには、まとまることのできる議会(いつでも過半数をちらつかせることのできる議会)、議会は組織であることを意識することでまた違った対応を得る事ができるのではないかと思います。
一般質問の良し悪しは最善をつくせばそれでよいと思いますし、それよりもこうしたよくわからない意識?ですか・・・こうしたことが妨げになっているのなら市民にとっては不幸そのものではないでしょうか。
また、よくある議員評価でも一般質問の回数のみが注目されて発表会のように数値化しているものをよく見かけますが、担当でどうにかなるもの。委員会で発言するもの。一般質問で質すもの。自身が考えるレベルによってみなさん使い分けているのが現状であると思います。一般質問確かに大事であると思いますし、普通にしている限りネタには困らないと思いますが、こうした本を読むたびにその他いろいろ現実社会って恐ろしいなぁ・・・と思います。